1928-1985 日本(京都府) 終戦直後、行動美術京都研究所で学ぶ。 1952年に上京し、岡本太郎の呼びかけで国際アートクラブに参加。 1960年代初頭、新聞紙、ボタン、釘などを使った抽象的なコラージュ作品を数多く制作。 43歳でうつ病を発病後は、無彩色のシルクスクリーンや、白い絵の具と僅かな陰影のみで描く作品など、無駄な要素をそぎ落とした絵画のあり方を追求していった。
吉仲太造
1963年/ ミクスドメディア 板 Mixed media 裏にサイン、年記 7×9 額25.5×27.5
1973年/ シルクスクリーン Silk screen 限50 サイン 35×50 少傷み
Taizo Yoshinaka
1978年/ミクスドメディア キャンバス 裏にサイン、タイトル、年記 ワレ F3号 27.5×22 額49×43.5
1975年/水彩 サイン 27×24.5
1976年/ミクストメディア(墨/写真) サイン 34×30 額75×56.5
1974年/シルクスクリーン 限50 サイン シミ 50×36 S:54.5×39.5
1973年/シルクスクリーン 限50 サイン シミ マージンに折れ跡 35×50 S:39×54
1974年/シルクスクリーン 限50 サイン シミ マージンに折れ跡 50.5×36.5 S:54.5×39.5